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悪意に天罰。 [日記]

 2014年8月26日(火)。
 ここに記事を追加することになるとは、思いませんでした。
気になることがありましたので、書いておきます。
 同日付けの記事に書いたインターネットで気付いたニュースは、以下のようなものでした。
So-netニュースとYAHOO!JAPANニュースの両方の記事をそのままコピー&ペーストしておきます。



 So-netニュースより
 
原発避難者自殺、東電に賠償命令
 2014年 08月26日 13時24分
 提供元:共同通信
  2011年7月、東京電力福島第1原発事故で避難していた福島県川俣町山木屋地区の渡辺はま子さん=当時(58)=が自殺したのは「避難生活で精神的に追い詰められ、うつ状態になったため」として、遺族が東電に計約9100万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、福島地裁(潮見直之裁判長)は26日、東電に約4900万円の賠償を命じた。 東電によると、原発事故が原因で自殺したとして東電に賠償を求めた訴訟で、初の判決。夫の幹夫さん(64)ら4人が訴えた。 はま子さんは6月、幹夫さんら家族とともに福島市内のアパートに避難。一時帰宅していた7月1日、自宅敷地内で焼身自殺した。


原発事故で自殺 東電に初の賠償命令
 2014年 08月26日 16時20分
 提供元:J-CASTニュース
東京電力福島第1原発事故をめぐり、避難中に自殺した女性の遺族が東電に約9100万円の損害賠償を求めていた訴訟で、福島地裁(潮見直之裁判長)は2014年8月26日に東電に約4900万円の賠償を命じた。各紙が報じた。原発事故後の避難住民の自殺をめぐり、東電の賠償責任を認めた判決は初めて。

自殺した渡辺はま子さん(当時58)は11年6月に川俣町の自宅が計画的避難区域に指定され、福島市内のアパートに避難。一時帰宅した7月1日、自宅敷地内で焼身自殺した。

遺族ははま子さんの自殺は原発事故によって避難せざるをえなくなったことで精神状態が悪化したことによると主張。東電ははま子さんが事故前から睡眠障害で薬を飲んでいたと指摘し、事故以外の原因を考慮するよう反論していた。


自殺「展望見えぬ避難で絶望」
 2014年 08月26日 17時45分
 提供元:共同通信
 東京電力福島第1原発事故で避難していた福島県川俣町の渡辺はま子さん=当時(58)=の自殺をめぐり、東電に約4900万円の賠償を命じた26日の福島地裁判決で、潮見直之裁判長は、事故と自殺の因果関係を明確に認め「展望の見えない避難生活への絶望と、生まれ育った地で自ら死を選んだ精神的苦痛は極めて大きい」と判決理由を述べた。 さらに、原発事故が起きた場合の想定について「住民は避難を余儀なくされ、さまざまなストレスを受けて自死に至る人が出ることも予見できた」と、東電の責任を厳しく指摘した。 東電は「判決の内容を精査し、真摯に対応したい」とのコメントを出した。


避難者訴訟 福島地裁、自殺と原発事故との因果関係を認める判決
 2014年 08月26日 19時37分
 提供元:FNNニュース
2011年の東日本大震災の発生以降、震災に関連する自殺者の数は、7月までに130人を超えている。中でも福島県では、年々増え続けている。そんな中、避難生活でのストレスを苦に妻が自殺したとして、夫が、東京電力を相手取り、損害賠償を求めていた。その判決が、26日、言い渡された。26日、亡き妻の遺影を手に福島地方裁判所に入った、渡邉幹夫さん(64)。渡邉さんの妻・はま子さんは、3年前の7月、自ら命を絶った。渡邉さんは、幼なじみのはま子さんと、1973年に結婚。福島・川俣町の家で暮らしていた。3人の子どもが独立し、これから趣味の旅行を夫婦で楽しもうとしていた矢先に、福島第1原発の事故が起きた。2012年、渡邉さんは「なんせ話は、もう話はしなくなって。ちょっとすると、泣きじゃくって。女房のこういう弱さを気づいて、もっと強い言葉をかけてやれば良かったんだと。自分もそういう立場だったんで、気づかなかった」と語っていた。渡邉さんの自宅がある川俣町の山木屋地区は、放射線量が高く、川俣町で唯一、計画的避難地域に指定された。住み慣れた自宅を出て、避難所やアパートを点々とする中、明るく社交的だったはま子さんが、急にふさぎこむようになったという。そんな妻を元気づけようと、渡邉さんは、一度自宅に帰ろうと提案した。2012年、渡邉さんは「(妻に)すごく喜ばれて、『早く行くべ、早く行くべ』って。こっちに戻ってくるのが、すごく楽しみだったようです」と語っていた。自宅に帰った夜は、大好きだったという庭が見える廊下で夕食をとった。その時、はま子さんは「帰りたくない」とつぶやき、渡邉さんの腕をつかみ、離さなかったという。翌日、はま子さんは、自宅近くで焼身自殺した。2012年5月、渡邉さんは、原発事故による避難生活が、妻を死に追いやったとして、東京電力に対し、およそ9,000万円の損害賠償を求めて提訴した。東京電力側は、原発事故との因果関係は証明できないと、争う姿勢を示した。8月12日、判決を前に、はま子さんの墓参りをした渡邉さん。渡邉さんは「こんなにお墓に来たのは、今まで、おやじが亡くなっても、おふくろが亡くなってもなかったね。やっぱり女房への思いは違うね」と語った。はま子さんの死から3年が過ぎた今も、その思いは変わっていないという。渡邉さんは「ただの自殺者では終わらせたくなかった。何もやらなかったら、『ただの自殺者』で終わっちゃうわけだからね」と語った。そして迎えた注目の判決。福島地裁は、はま子さんの自殺と原発事故との因果関係を認め、東京電力におよそ4,900万円の支払いを命じた。裁判長は「家族や地域住民とのつながりをも失い、大きな喪失感をもたらした。ストレスは非常に強いものであった」とした。この判決が伝えられると、支援者から拍手と歓声が上がった。判決を受け、渡邉さんは「涙が出て、止まらなかった。(妻・はま子さんに伝える言葉は?)良かったね。本当に、裁判やって良かったねと言いたい」と話した。原発事故が自殺の原因だとして遺族が訴えた裁判で、賠償を命じる判決が出されたのは初めてのこと。東京電力は、「判決の内容を精査したうえで、引き続き真摯(しんし)に対応してまいります」などとするコメントを出した。


原発避難後に自殺、東電に4900万円賠償命令
 2014年 08月26日 20時45分
 提供元:読売新聞
 東京電力福島第一原発事故で、避難生活中に妻が自殺したのは東電の責任だとして、夫ら遺族4人が損害賠償を求めていた訴訟で、福島地裁(潮見直之裁判長)は26日、東電に対し、約4900万円の賠償を命じる判決を言い渡した。
 原発事故に関する自殺を巡って判決が出たのは初めて。
 訴えていたのは、福島県川俣町から福島市に避難している渡辺幹夫さん(64)と子供3人で、慰謝料など計約9100万円を求めていた。
 判決などによると、渡辺さん宅があった同町山木屋地区は、計画的避難区域とされ、渡辺さんと妻はま子さん(当時58歳)は福島市に避難した。はま子さんは慣れない避難生活でうつ病などとなり、同年7月1日朝、一時帰宅した自宅近くで焼身自殺した。
 判決は、はま子さんが自殺した原因を、原発事故で避難を強いられ、うつ状態になったためと判断。山木屋地区は、はま子さんにとって平穏に生活できる場所だったが、自宅と仕事をともに失い、帰還の見通しがつかなくなったことが「耐え難いストレス」になったと認定した。



 YAHOO!JAPANニュースより

<避難者訴訟>自殺「原発事故が影響」 東電に賠償命令
 毎日新聞 8月26日(火)13時18分配信
 2011年3月の福島第1原発事故に伴う避難生活中に自殺した女性の遺族が東京電力に約9100万円の損害賠償を求めた訴訟で、福島地裁(潮見直之裁判長)は26日、事故と自殺の因果関係を認め、東電に計約4900万円の賠償を命じた。原発事故後の避難住民の自殺を巡り、東電の賠償責任を認めた初の司法判断。

 原告は、渡辺はま子さん(当時58歳)を失った夫の幹夫さん(64)と子供3人。

 訴状などによると、原発事故後の11年4月、自宅があった福島県川俣町山木屋地区が計画的避難区域(当時)に指定され、福島市のアパートでの避難生活を余儀なくされた。同年7月1日朝、はま子さんは一時帰宅した自宅の庭先でガソリンをかぶって火を付け、死亡した。遺族は12年5月、自殺は原発事故が原因として提訴した。

 遺族側は、はま子さんが抑うつや食欲減退などうつ病の兆候を避難後に示すようになったと主張。「原発事故による生活環境の激変で、死を選択せざるを得ない状況に追い込まれた」と訴えた。これに対し東電側は、はま子さんが事故前に精神安定剤を使っていたことなどを指摘し、「因果関係の認定には総合的な判断が必要」と反論していた。

 原発事故後の自殺を巡っては、国による原子力損害賠償紛争解決センターの和解仲介手続き(原発ADR)で遺族と東電が慰謝料の支払いで和解したケースもある。今回の訴訟で潮見裁判長は双方に和解を勧告したが、遺族側が「判決で東電の責任を明記してほしい」として応じなかった。


「非認め謝罪を」=自殺女性の夫、東電に憤り―原発避難訴訟、26日判決・福島
 時事通信 8月24日(日)14時37分配信
 東京電力福島第1原発事故に伴う避難後に自殺した渡辺はま子さん=当時(58)=の遺族が「避難生活でうつ状態になったのが原因」として東電に損害賠償を求めた訴訟の判決が、26日に福島地裁で言い渡される。夫で原告の幹夫さん(64)は東電の対応に憤りを感じ、「非を認め、謝罪してほしい」と話す。
 「ここは楽園だった」。福島県川俣町内の仮設住宅で避難生活を続ける幹夫さんは7月下旬、山木屋地区の自宅に戻り、はま子さんの遺影を見詰めながらこう語った。
 幹夫さんとはま子さんはともに山木屋地区の小さな集落で生まれ育った。地元の青年団の集まりで仲良くなり、結婚。近所の養鶏場で一緒に働きながら、3人の子供を育てた。2000年に家を新築。ついの住み家にするつもりだった。
 しかし、原発事故により事態は一転。政府の避難指示に伴い11年6月、福島市内のアパートに移り住んだ。慣れないアパート暮らしに、はま子さんは精神的に追い詰められていった。食欲はなくなり、体重は5~6キロ減少。幹夫さんの帰宅が遅いと、「どうして早く帰ってこなかったの」と泣きじゃくった。
 同月30日、自宅の草刈りのため、一晩だけの約束で自宅に戻った。縁側で外を見ながら2人だけの夕食。「アパートには戻りたくない」。はま子さんはこう話し、翌日未明、自宅のごみ焼き場で焼身自殺した。
 約2年の審理を通じ、東電から謝罪はない。提訴前、和解を模索して代理人弁護士が東電に行ったが、門前払いされ、担当者の名刺すらもらえなかった。
 幹夫さんは裁判所が遺族の思いを酌んでくれると信じている。「明るかった女房ですら、こんな状況に追い詰められて死んでしまった。東電には、その謝罪だけは絶対してもらいたい」と力を込めた。



 悲しみを通り越して、もはや涙しか出ませんでした。
私の身に起きたことと、一体何が違うのでしょう。
 私は9,100万円なんていう高額な慰謝料を求めてはおりませんでした。
私がZと会社に求めた慰謝料は、この金額に比すれば、微々たる金額に過ぎません。
 もし私が焼身自殺すれば、4,900万円もの大金の支払い命令が出るのでしょうか。
それ以前に、裁判に訴えるべきだったのでしょうか。
あのような無知で不公平・非中立な人間が裁判官を務めるような民事裁判に‥‥‥‥。
民事裁判官以上に無知で無礼な&&&警察署のバカ刑事どもに、頼るべきだったのでしょうか‥‥‥‥。


 運命はここぞという時に分かれ道を用意して待っていると思います。
 私が今までに選んできた道は、全て誤りだったのでしょうか。
誤りだったからこそ、今のこの状況が生まれているのでしょう。


 誰が1番バカなのか。
それは私。
もう、どうしようもない、救い様のない人間です。
 ほんとうに、生きている価値も存在意義も、何もない。


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